前々日から降り続いていた春風大雨は、獅子の会の55周年を祝してくれたのか“パタリ”と止んでいた。これまでの周年行事(40、45、50)は幸運にもすべて天候に恵まれた。この幸運は、獅子の会を続けてきたことで得られる神様からの贈り物のひとつかもしれない。

ところで、今回の獅子の会55周年記念行事は、昨年の秋口から各支部幹事(東京、大阪、広島、福岡)による会員の参加意向を確認することから始めた。その結果、会員の多くが80歳手前の年齢でありながら、もう一度「青春春代 を謳歌した「“やまぐち”の地で、会いたい!話がしたい!」との意見が多く寄せられ、開催日を獅子の会(昭和44年卒)にちなんで令和6年4月4日(木)、懇親会会場は湯田温泉「(ホテル:セントコア山口)、翌日のゴルフは宇部カントリー72万年池東コースで開催することにした。

振り返れば卒業時には168名いた仲間は、物故者が27名、そしてこの度の参加者は全国から22名(ゴルフ参加者は10名)と当初の想定より少人数となったが、この年齢になれば致し方ないことなのだろう。

さて、午後6時から始めた懇親会では、ここ5年の「物故者」への哀悼の誠を捧げて黙祷。鬼木会長から「皆さんと元気に参加できたことの慶びと参加できなかった会員の近況報告そして次のステップへ元気に進もう!」と、そして東京から参加の田尾君による乾杯の音頭で開演した。5年ぶりの開催である。お互い会えば話が弾む。今回は参加者による「今大事にしている3つのこと」を話題の中心にして「一言談」で懇親会の場を盛り上げた。東京で住職をしている古賀君から「有難いお話し」、又静岡から車で1800km走破して数十年ぶりに参加してくれた原君、九州中津から参加してくれた自称「農業人」の金丸君、阿蘇の麓でボランティア活動での生き甲斐を語る村田君、等々、紙面の関係ですべて紹介できないが、みんなが語りつくす中で名残惜しさを残しながら「鳳陽寮寮歌」等を全員で合唱、広島支部の水木君の万歳三唱で終演した。

(前列 左から)
中村、加藤、宮崎、藤野、立花、鬼木、田尾、金丸、水木、鹿毛
(後列 左から)
柘植、古賀、梅澤、金光、三谷、村田、真木、諸藤、新留、原、原田、大井

 

翌日(5日)はゴルフ組と市内散策組に分かれてそれぞれが親睦を図った。

ゴルフ大会は、スコアー80台が2人、90台が3人、100台5人と80歳近い年齢の中で、それぞれにドラマがあった。長年苦手にしてきた名物ホール池越え12番で奇跡的にパーで上がれたと大喜びする田尾君、前半3バーデイで絶好調だったが後半崩れダブルペリアの妙もあり最下位に沈んだ立花君、満身創痍(本人曰く)の身体ながら元気に完走した水木君、当クラブのメンバーで流石にコースを知り尽くし、揃ってベスグロ(88)の真木、大井の両君の他、プレーを楽しんだのは鹿毛、金光、加藤、金丸と世話人鬼木君であった。

(前列左から)
金光、立花、田尾、鬼木
(後列左から)
加藤、金丸、真木、鹿毛、大井、水木

 

散策組は、原田、三谷、諸藤、村田の4名で、ザビエル記念堂→亀山公園→鳳陽寮跡地付近→一の坂川の桜→井筒屋(旧ちまきや)の商店街アーケード→山口駅のコースを当時を偲びながら散策。やはり一の坂川の桜の満開は大変印象的であったとのことである。もう一組は、宮崎の車で、柘植、古賀、中村君の4名で、一の坂川の花見、そこで、ある懐かしい出会いがあった。それは、「西村商店」のおばちゃん(90歳近い)である。硬式テニス部の中村、古賀君たちは練習中の一休みにそのお店をよく利用し、西村のおばちゃんに大変お世話になったとのことで昔話に花が咲いていた。また、新留、梅澤、藤野君も“懐かしいやまぐち”の散策を思い思いに楽しんだ。

さて、後日、今回参加された方々や不都合で参加できなかった方々から多くのお礼やお詫びのメールを頂いた。「案ずるより産むがやすし」と、次回以降は各支部を当番幹事として周年行事に関係なく夫々の地の会員に参加呼び掛けをして開催し同期の絆を持ち続けていくことを誓いあった。

以上

獅子の会事務局 大学17期 宮崎修五

 

桜満開の一の坂川(2024.4.5)