鳳陽会とは

鳳陽会とは

一般社団法人鳳陽会は、山口高等商業学校、山口経済専門学校及び山口大学経済学部の卒業生を会員とする同窓会です。

「鳳陽会」の歴史は、1908年(明治41年)、山口大学経済学部の前身である山口高等商業学校の第一回卒業式の際に創立された「山口高等商業学校同窓会」に始まります。
その後、1927年(昭和2年)、幕末の藩士で私塾「山口講堂」を設立された上田風陽先生に因み「鳳陽会」と改称しました。また、1930年(昭和5年)、文部大臣の許可を得て「社団法人鳳陽会」と法人化し、2013年(平成25年)には、公益法人制度改革により一般社団法人へ移行、「一般社団法人鳳陽会」として再出発し、現在に至っています。

「鳳陽会」は、創立後110年以上が経過し、会員数は2万人を超え、会員は全国で幅広く活躍しています。会員の鳳陽会活動の拠りどころとなる風陽会の支部も、北は北海道から南は鹿児島まで40支部あり、甲信越、北陸地域及び徳島、沖縄を除く全国すべての地域を網羅しています。

「鳳陽会」は、山口大学経済学部及び山口大学全体の発展及び人材育成に協力するとともに、鳳陽会会員の親交を図るための同窓会活動として、主には次のような事業を実施してきました。
・ 教育支援事業(母校、在学生への支援)
寄附講座、学生の就職活動への支援、職業会計人育成に対する支援・助成、国際交流・グローバル人材育成に対する支援・助成
・ 交流事業
山口大学同窓会活動への積極的参加、経済学部新入生保護者懇談会等での「鳳陽会」のPR
・ 同窓会関係事業
会員の動静把握・情報管理、会員への迅速なデータの提供、各支部総会や同期同窓会開催に対する支援
・機関誌「鳳陽」発行事業
機関誌「鳳陽」の年3回の編集・発行、会員や経済学部生・教官、他同窓会等への配付

一般社団法人鳳陽会の本部の建物「鳳陽館」は、以前の母校所在地である山口市亀山公園の東麓、山口県立美術館の北に1979年(昭和54年)建設されました。この建物内には一般社団法人鳳陽会の事務局があり、事務局長及び事務局員の2名が常勤し、山口大学経済学部とも絶えず連絡を取り合いながら事業を実施しています。

1973年(昭和48年)、山口大学経済学部は、旧亀山キャンパスから吉田キャンパスへ移転し、亀山の地は様変わりしてしまいました。
ただ、移転先の吉田キャンパスでは、1995年(平成7年)に建てられた「商品資料館」に、昔の亀山校舎の本館正面を偲ばせるデザインが施されており、玄関の壁面には鳳陽寮寮歌の歌詞「花なき山の…」を刻んだプレートが掲げられています。

また、経済学部の校舎最上階の外壁に表示されている「1905〜」という意匠は、1905年(明治38年)に設立された山口高等商業学校から、現在の山口大学経済学部に綿綿と繋がっている歴史を表しています。

経済学部玄関前の前庭には、1997年(平成9年)に「山都逍遙歌」、2002年(平成14年)に「山口高等商業学校校歌」、2005年(平成17年)には「鳳陽寮寮歌」の歌碑がそれぞれ建立され、経済学部校舎の周囲には、卒業生による数多くの記念植樹があります。

こうした意匠、歌碑、記念植樹は、吉田キャンパスに馴染の薄い「亀山時代」を過ごした卒業生にとっても大学との絆を強める一助となっています。

理事長あいさつ


理事長
松永 昭博(学21)

 鳳陽会は110年を超える歴史を持つ山口大学経済学部の同窓組織で、結束力の強い組織です。登録された会員数は約2万人を数え、全国各地に40の支部を有しています。こうした同窓の絆は宝であり、価値ある無形の資産といえます。

 鳳陽会では会員同士の親睦を深め、交流を広げる拠り所の一つとなるよう会を運営していきたいと思っています。最近では若い会員の同窓会活動への参加が少なくなっていますが、若い世代にとっても、魅力ある交流の「場」になるよう心掛けていきたいと思います。

 また、鳳陽会のもう一つの重要な役割が母校や在校生のみなさんへの支援です。現在経済学部では、特色ある大学づくりを目指して、特設コースの開設、大学院の充実といった改革が進められていますが、鳳陽会でもこうした活動を支援していくことは重要な役目であると考えています。

 このほか鳳陽会では、後輩の皆さんが日本のみならず国際的な場でも活躍出来る人材になるよう、短期の海外語学留学など国際的な人材交流に対する支援を行っているほか、経済学部と連携して就職活動の支援も行っています。

 かつて、中世での西の京・山口では、地の利を得て近隣諸国の文化を取り入れた国際色豊かな大内文化が栄え、西日本に独特の一大勢力圏を築きました。また、明治維新の時にも、地の利がもたらした海上交易による富、人と情報の交流・集積により、維新への道を拓きました。

 この山口が今ひとたび周辺地域や近隣諸国の「人材交流の核」となり、母校が「知の拠点」となることを切に願い、我々鳳陽会の活動がその一助となれば幸いに存じます。

鳳陽会の沿革

1908年(明治41年)3月

山口高等商業学校の第一回卒業式が挙行されるに当たり、「山口高等商業学校 同窓会」を設立。

 

1927年(昭和 2年)1月

幕末の藩士「上田 鳳陽 先生」に因み「鳳陽会」と改称。

 

1930年(昭和 5年)11月

評議会で、「社団法人 鳳陽会」に改めることが決議され、定款を作成、文部大臣の認可を得て社団法人化された。

 

1949年(昭和24年)5月

山口大学の発足と共に「鳳陽会」も経済学部の同窓会として、引き継がれた。

 

1979年(昭和54年)4月

旧母校所在地跡、亀山公園東麓(山口市亀山町、県立美術館側)に「鳳陽館」を建設し 本部事務局とする。

 

2008年(平成20年)3月

山口高等商業学校同窓会設立以来、百周年を迎えることとなった。

 

2013年(平成25年)4月

公益法人制度改革に伴い、「社団法人 鳳陽会」から「一般社団法人 鳳陽会」へ移行。

建学の祖、「上田 鳳陽」先生

上田鳳陽先生は、回天の雄藩「長州」にあって、「山口講堂」を興し、もって旧山口高等商業学校、今日の山口大学経済学部の礎を築いた、建学の祖です。

「上田 鳳陽」と「経済学部」の沿革

1769年(明和 6年)
・萩藩士 宮崎猪兵衛在政の三子として生まれる。

1800年(寛政12年)
・萩の藩校、「明倫館」に入る。

1815年(文化12年)
・4月、山口に学舎がなく、書籍も乏しかったので志を興し、中河原に私塾「山口講堂」を創設された。

1841年(天保12年)
・藩主「毛利 敬親」公が各宰判に命じ、風土記を編纂させ、「風土注進案―山口宰判の部」は鳳陽先生がその任に当り、その考証精密を以って、最も優れたものと評価された。

1845年(弘化2年)
・1月、「山口講堂」を「山口講習堂」と改称。

1853年(嘉永6年)
・12月8日、85歳をもって教学に捧げられた生涯を閉じられた。

1861年(文久元年)
・学舎を亀山の東麓(現在の県立美術館の位置)に、新築、移転。

1863年(文久3年)
・11月、「山口明倫館」と改称。

1870年(明治3年)
・11月、「山口中学校」に改称。

1886年(明治19年)
・11月、「山口高等中学校」に改称。

1894年(明治27年)
・6月、高等学校令が公布され、9月に「山口高等学校」と改称。

1905年(明治38年)
・官立実業専門学校として、「山口高等商業学校」が開校。5月8日に第一回の入学式が行われた。

1944年(昭和19年)
・「山口経済専門学校」と改称。

1949年(昭和24年)
・山口大学が開学、経済学部として発足。

我々が、「上田 鳳陽先生」を「開学の祖」と仰ぐ所以です。