社会人として初めての年の瀬を迎えようとしている。振り返れば人生の中でも最も変化の大きい1年であった。

 3月に卒業を迎え、山口大学を後にした私がファーストキャリアとして選んだのは、日本緑茶発祥の地・京都府宇治田原町に在する従業員8名の小さな茶輸出業者。大学時代、経済学部主導のフィリピン留学にチームリーダーとして参加し、現地で日本製品の人気ぶりを目の当たりにした私は、就職活動では「日本のものを世界へ広める仕事」に軸足を置いてて仕事を探していた。フィリピンでの経験や私の日本の歴史・伝統文化に関する知識などを評価され、今の会社に内定をいただいた。ちなみに、弊社の新卒の採用は初めてで採用者は2名。私にとっても、会社にとってもチャレンジングな試みであった。

 入社してまず驚いたのは、昨今の空前絶後の「抹茶ブーム」による京都の抹茶不足であった。健康志向の高まりやSNSを通じた認知度の向上などを背景に、抹茶需要が高騰し、抹茶の卸売価格は前年の1.7倍、輸出総額は約2倍に跳ね上がっていた。こうした状況は戦後日本茶業界が初めて直面する事態である。まさに大学で理論として学んだ、ミクロ経済の「需要曲線のシフトに伴う市場価格の変化」が現実の形をもって現れていた。

 我々新卒2人(もう一人は米国の大学卒の帰国子女、英語は非常に頼りになる。)もマナー研修などをそこそこに、早速OJT研修としてメール返信などの実務を任された。ひどい時では1日40件来る英語の問い合わせメールを捌く必要があったが、その間に得た経験値は図り知れない。また、山根先生の指導のもと学生時代に培われた私の英語力はある程度通じたようで自信にもなった。弊社のお茶はメインのアメリカ・ヨーロッパだけでなく、オーストラリア・イスラエル・プエルトリコ(どこ?笑)など世界中の隅々まで日々輸出されていき、刺激的な毎日が始まった気がした。

 ただし新卒で入りたての頃は、仕事の方はモチベーション高く取り組めても、精神的にはきつさを感じやすい。急激な環境の変化に加え(私は鹿児島出身であり、京都には友人が数名いるものの、関西で暮らすのは初めて)、引っ越し費用等の返済で金銭的な余裕がないにも関わらず、初任給の振り込みは5月末ある企業も多い。在校生には学生時代からある程度の貯金をしておくことをおすすめしたい。

『働けど働けど なおわが暮らし楽にならざり ぢっと手を見る』そう歌った石川啄木に思いを馳せ、眠りについた夜が入社当初は幾度あっただろうか。

 5月、京都は茶摘みのシーズンを迎え、最も繁忙期となる。GW前に我々も自社が保有する茶畑で丸一日茶摘みを行った。手摘みの茶葉は最高級の茶に加工され、非常に人気が高い。私が摘んだ茶を飲む人は、どこの国のどんな人だろうか、喜んでくれるだろうか。そんな名も知らぬ誰かのことを考え、私は一日ずっと手を動かしていた。

 6月、7月は上司に指摘されながらも徐々に仕事を覚え、少しずつ成長を感じる日々を過ごしていた。だが、その日は突然やってきた。アメリカのトランプ大統領が日本からの輸入関税を15%に引き上げる大統領令を発令(いわゆるトランプ関税)。お茶もその対象となり、アメリカからの注文が激減。さらに、通関検査が厳しくなった関係で、アメリカ向けで主に利用していた国際郵便(EMS)と米国大手運送会社が立て続けに機能不全に陥った。その混乱は11月現在も続いており、大手運送会社の日本代理店とのやり取りが続いている。

 このようにイレギュラーで混乱する事態も生じており、ストレスが溜まることも多いが、やはり誰かの役に立てている・仕事をしてきてよかったと思える瞬間がある。弊社には度々、実際に商品を購入されているお客様がいらっしゃり、我々社員が畑や工場などを案内する業務がある。先日、私が案内したドイツのご夫婦から、”We had an incredible time in Japan, we hope to visit again in the future. Meeting you was one of the big highlights of our trip. Thank you so much for showing us around the tea farm. It was a really special day and one that we will cherish forever in our memories.(訳: 日本では本当に素晴らしい時間を過ごすことができ、またいつか訪れたいと願っています。あなたにお会いできたことは、旅の中でも大きなハイライトの一つでした。茶畑や製茶工場をご案内いただき、本当にありがとうございました。あの日は特別な一日であり、これからもずっと大切な思い出として心に残り続けることでしょう。)”というお心のこもったお礼メールをいただいた。彼らとはぐっと固い握手を交わしたことを覚えている。

 現代は先が見えない時代だとよく言われる。大学で経済学を学んでいる在校生は、そういったことを特に敏感に感じているかもしれない。転職や会社に縛られない働き方をする人も増え、何が当たり前かなどわからない。実際、私の友人にも、新卒で入社した会社を早々に退職し、Youtuber活動に力を入れているものもいる。私自身、今の仕事を続けるかどうか、今後どこで何の仕事をしているかわからない。地元鹿児島の親・親戚からは、「いっついとっでんよそにおらんで、はよかごんま帰っきゃんせ。(訳: いつまでも他県にいないで、早く鹿児島に帰って来なさい。)」と圧をかけられている(流石戦時中に暗号として使われた鹿児島弁。文字におこすと読みづらい笑)。

 だが、どこで何の仕事をしようと、きっとその仕事は誰かの役にたっているのだろう。いつの日か、ぢっと見つめたその手でまだ出来ることがある。そう信じて、今日も私は仕事に向かう。

茶畑を案内する德田さん(最右)